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弘前大学白菊会40年の歩み

 

弘前大学医学部

 

弘前大学白菊会は昭和41年の設立ですから、今年で創立30周年ということになります。設立当初はわずか21名の会員でほそぼそと始めた会が、本年7月現在で会員数1,600名にまで発展しましたが、この蔭には会員の方の熱心な御奉仕があったことは申すまでもなく、深く感謝の意を表したいと思います。昭和37年の名古屋大学における解剖学会総会の際に、献体に関する話し合いがあり、これを契機として全国の各大学で献体の会を組織する機運が芽生えました。このとき会を推進されたのは、東京大学の藤田恒太郎教授でした。この会には弘前大学からも当時の医学部事務長の大高武正氏も出席しており、帰学後、将来のことを見通して、弘前大学でも是非この会を組織しようと相談がまとまりました。
会の発足にあたっては、当時の医学部長であった病理学の佐藤光永先生のご協力も見逃せません。上述したお二人の大学関係者のほか、民間から桜庭健吉さん、竹内忠一郎さん、三浦義道さん、池田八郎さん、安田慎さん、らが骨身惜しまず協力して下さり、これらの方々のご協力なくしては会の早期発足は到底不可能でした。残念ながらこれらの方々はすべて鬼籍に入られました。この時代は、弘前大学では解剖用の遺体の収集に困難を極めていたときで、遺体の多くは海を隔てた函館より提供していただいていました。そのため収集に出向く大学職員については、最低一泊の旅費が必要で、年間のそれに要する費用は医学部予算を削減していただいていました。このことを医学部事務長会議で強く文部省に進言したのは、さきにご紹介した大高武正事務長で、このあと間もなく遺体収集のための旅費が予算化されました。
昭和58年の献体法の成立にあたっては、地元出身の代議士竹内黎一先生のご尽力も見逃せません。当時、先生は自民党の文教委員に属し、臓器移植法などの部門を担当されていました。当時の解剖学第二講座の河西達夫教授や、白菊会理事長だった三浦義道さん、現在の理事長山口健二さんの三人で竹内代議士の御自宅にお邪魔して、毎週の週末に弘前に戻られる先生にお会いして、献体法の成立についての請願をしました。
昭和62年の秋には、津軽藩の菩提寺で大学墓地のある長勝寺の境内に、医学部教授会や白菊会の有志の方々の御芳志をいただいて、献体の碑が完成しました。医学を志す若い学生諸君が、この碑文の内容をよく理解し、使命感に燃えて立派な愛される医師に成長してくれればと願っています。

 

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